16 February 2023
「スペックエスパスかける人」第5回 能楽師 大橋さん「能の面白さ」
伝統芸能である能は、舞踊、音楽、演劇が一体となった総合芸術とも言えます。舞台にはシテ、ワキなどの演者だけではなく、コーラスを司る地謡、楽器を演奏する囃子方も同じ舞台上の定められた位置に並びます。その中で、囃子方がどのように演奏しているのかを能楽師・太鼓方の大橋さんにお話をうかがいました。
楽器担当の囃子方には、笛・小鼓・大鼓・太鼓がそれぞれ一人ずつ、計四人(太鼓が入らない曲では三人)がいます。雛人形の五人囃子のように、向かって左から太鼓、大鼓、小鼓、笛と並びます(五人囃子の人形では、謡を謡う人が一番右に追加になります)。
しかし、囃子方はいつもシテ方やそのほかの演者に合わせるために演奏しているのではありません。つまり伴奏ではないのです。
太鼓の立場で言えば、バチの打ち方やかけ声により、主人公の位や物語の場面などを想像させることができます。神様が登場する場面では颯爽とした感じ、位の高い人物が登場する時はゆったりとした感じにするために、様々なテクニックで物語を盛り上げていきます。例えば、『神舞』という早いテンポの舞は、左撥をほんの少し早く打つとか、かけ声を張って、先へ先へかけることで早く聞こえたりします。
また、笛以外は「ヤ」「ハァ」「ヨーイ」「イヤー」など、それぞれの楽器独特のかけ声をかけますが、このかけ声には、囃子方同士で進行を確認したり、舞台の流れを変えるなどの重要な役割があります。演者にとっても演技の合図となるかけ声。その速度やタイミングのさじ加減は、囃子方に任されます。
このように囃子方は、楽器担当でありながら演者の一員であり、時には囃子方が舞台をひっぱります。そして、シテ方、ワキ方、狂言方もそれぞれの立場で能の世界を表現しつつ、一つの舞台を全員で作り上げることが能の面白さなのです。
本番前の申し合わせ(いわゆるリハーサル)はたったの1回。
指揮者がいない囃子方はどのように音の調和を保つのでしょうか。
―「全体としては大鼓が曲の屋台骨を作っていると思います」と大橋さん。
「誰か一人の演奏が前に出てしまっては、美しく聞えません。家族構成で言うと、大鼓がお父さん役で、小鼓がお母さん、笛はお兄さんかな」
太鼓はというと・・・?
―「多くの場合、曲の後半部分に入ることが多いのですが、その中でも太鼓はスピードを司りますね。でも、太鼓は全ての曲に入る訳ではないので、時々やって来る叔父さんみたいなものだと私は思っています。時々来る叔父さんが家庭(舞台)をぶち壊しちゃいけないよね。笑」
聞き手には心地良く聞えても、実は緊張していることもあるのでしょうか。
―「以前はすごく緊張してガタガタ震えたりしていたけど、やはり稽古を積むというのは大事だなと思います。毎日勤務していた頃は、思うように稽古の時間がとれず、いつも不安でした。定年退職後に毎日お稽古をするようになってからは、今の自分の力を出すだけと、落ち着いて本番に臨むことができるようになりました」
能楽体験イベントで指導する大橋さん
では、能はどのぐらいで習得できるものなのでしょうか。
―「生涯修行ですね」
大橋さんにそう言わせてしまうのはなぜかというと
―「自分一人で稽古している時にうまくできてもダメで、舞台に出て合わせた時にいかにしっくりくるかということなので。間違えはしなくても、あそこはこうやったほうが良かったなというのが必ずある。稽古を重ねていても、満足いくことはないですね・・」
能楽師は現役で活躍している70代80代の方がたくさんおられます。
舞台は一期一会。毎回発見があり、それが面白くもあり、難しいから一生続けられるものかもしれません。
大橋 紀美さん
公益社団法人能楽協会に所属する能楽師(観世流太鼓方)。
金沢大学在学中に能に出会い、麦谷清一郎師に太鼓を習い始める。夫の転勤や子育てにより10年間中断したが、35歳で稽古を再開。事務職を続けながら、51歳でプロの能楽師の道へ。現在は舞台に出演する傍ら、子供達に能楽の楽しさを伝え、後進の育成にも力を入れている。